ふるさと馬毛島     


・馬毛島岳之腰トーチカが消えた日動画


・映画 『 馬毛島クロス 』 脚本制作・島春迦(西之表市出身)


   ※HP→→馬毛島クロス  (クロスcross:十字架。受難。罰。交差。渡る)
 種子島の西に、衛星のように寄り添う小さな島がある。
30年ほど前までサトウキビ畑が作られ、トビウオ漁が行なわれていたが、開発業者による買収が進んで無人島になった。
 島の99%を所有する開発業者は、馬毛島に人々が自由に出入りすることを拒み、見張りを立て、軍事施設を誘致するために、森林法などに違反するおそれのある乱開発を進めた。
 2011年6月、防衛省は日米安全保障協議委員会で、馬毛島を太平洋の硫黄島に代わる恒久的な米軍・空母艦載機の離着陸訓練の移転候補地にすると明記。種子島・屋久島の1市3町は反対をつよめ、候補地からの取り消しを求めている。
馬毛島には、固有種のマゲシカをはじめ、鳥や虫、魚、貝、ウミガメなど陸と海に豊かな生態系が広がっていた。発破による採石や抜根によって森がえぐられ、海には土砂が流れこんだ。周辺の人々は、基地移設の反対、賛成に分断された。
< ストーリー >
関東たねがしま人会を兼ねる渋谷のカフェバー。渡航できない馬毛島に渡りたいと、男がやってくる。彼の亡き父は馬毛島出身。彼は渡航をくわだてるもうひとりの女に会う。滑走路に見立て、バツを刻むように削られた無残なふるさとの姿。島を捨てた悔恨とつよまる望郷の念。馬毛島2世のあいだに新たに生まれる絆。米軍基地移転に揺れる馬毛島をめぐって交差する出会いと別れ、祈りのリレーを描く。   

2011年7月2日...在日米軍の空母艦載機離着陸訓練(FCLP)移転候補地として日米共同文書に明記された鹿児島県西之表市・馬毛島(まげしま)について、防衛省は2日、南西地域の防衛態勢充実に向けて同島に整備する自衛隊施設建設計画発表した。

オンライン署名→馬毛島の軍事施設化に反対する署名

※ブログ→ブログ馬毛島

動画→馬毛島空撮373news

※馬毛島FCLP他の動画→MAGEJIKAHELPさんチャンネル

※馬毛島関係HP→馬毛島の自然を守る会 あつこばのブログ

※馬毛島の夕日


※馬毛島動画(macou08さん)




 
馬毛島について(ウィキペディアより)
種子島の西方12kmの東シナ海上に位置している島で、面積は8.20km 周囲16.5km。
最高地点は島中央部の岳之越の71.7m、地勢は低くて平らである。島には河川がなく地質は農業に適さない。島内には、ニホンジカの1亜種であるマゲシカが棲息している。島の周辺は好漁場となっている。

鎌倉時代から種子島氏の領地となっていたが、漁師がトビウオ漁の時期に1〜2カ月ほど小屋に泊り込み、漁業基地としていたほかはほとんど住民はいなかった。
明治以降は牧場としての利用が試みられる。第二次世界大戦末期の1944s19年に海軍の防空監視所(トーチカ↑動画)が設置されたことに伴って無人島となった。

1951s26年からは緊急開拓法による農業開拓団が入植を開始。ピーク時の1959年s34年には113世帯528人が島に住み、馬毛島小中学校があった。サトウキビ栽培や酪農を営んでいた。
しかし、農業に適さない土地であることに加え、害虫や鹿の農作物被害が増加し生活が困窮したため、島民は徐々に島を離れていった。

1974s49年、平和相互銀行により馬毛島開発株式会社が設立される。当初はレジャー施設の建設を計画していたが挫折。
馬毛島が国の石油備蓄基地の候補地になったことから土地買収が進んだ。

1980s55年3月に最後の島民が西之表市政策により島外に移住し、西之表市立馬毛島小・中学校も最後の卒業生を送り出して閉校、島は無人島となった。

しかし石油備蓄基地は鹿児島県志布志湾に決定し、以後島は放置される。
このあと馬毛島は、日本の無人島の中では北海道の渡島大島に次いで2番目に面積が大きい島とされていた。

1983s58年、右翼の豊田一夫は、平和相互銀行に馬毛島の土地を自衛隊の超水平線レーダー用地として防衛庁に売却するという話を持ちかけ、不正経理によって用意させた巨額の資金を政界にばら撒いたとされている。
これは1986s61年に発覚、経営が悪化していた平和相互銀行は住友銀行に救済合併された(馬毛島事件)。

1986s61年にはトノサマバッタが大発生したが、翌年には収束した。

1995H7年、立石建設が馬毛島開発を買収して子会社とする。
馬毛島開発は島の土地の買収を進め、西之表市の公有地である市道と旧学校地を除く大半を所有地とした。馬毛島開発では、使用済み核燃料中間貯蔵施設、日本版スペースシャトル(HOPE)の着陸場などを誘致するとの構想を持っていたが、実際の開発は進まず、わずかに採石事業などが行われている。

2005H17年の国勢調査では、同社の従業員15人が住民として登録されており、再び有人島扱いとなっている。
滑走路建設2007H19年、硫黄島に代わるアメリカ海軍空母艦載機の夜間離着陸訓練に利用する可能性が報道された。これに対し周辺自治体議会は反対決議を可決した。2009H21年12月には、沖縄県宜野湾市にある普天間飛行場の移設候補地として検討された。馬毛島開発は島で土木工事を進めており、4,000m級の滑走路を建設するとしていた。

2011H23年5月に、北沢俊美防衛相が夜間離着陸訓練施設の候補として検討を指示していることが報道された。
馬毛島は過去に汚職の舞台となり、また立石建設およびその子会社である馬毛島開発の社長を務めていた実質的なオーナー立石勲および法人としての立石建設が、法人税3億2000万円を脱税したとして在宅起訴され、2011H23年6月に有罪判決を受けている、などの事情から、防衛省では島の敷地の買い取りを前提としているが立石勲はリースによる利用を主張している。

2011H23年6月に、土地の99.6%を所有するタストン・エアポート(馬毛島開発から商号変更)と防衛省の間で、用地交渉開始の合意書を締結された[10]。現在、島には南北方向の4200メートルと東西方向の2400メートルの2本の滑走路が建設されている
 
 
 

 

inserted by FC2 system