日本ロケット歴史
*1955s30.7
東京大学ペンシルロケット発射。 

*1995s30.7.10
ソ連が初の人工衛星打ち上げ 

*1969s44.10
宇宙事業団発足。 

*1970s45.2
東大がL4ロケットで日本発の人工衛星「おおすみ」打ち上げ

*1975s50.9 
N4ロケット運用開始 

*1980s55.2 
N2ロケット運用開始  

*1986s61.8 
H1ロケット運用開始 

*1994h6.2 
H2ロケット運用開始  

*1998h10.2 
H2ロケット故障、通信技術衛星の静止軌道投入失敗  

*1999h11.11 
H2ロケット打ち上げ失敗、運輸多目的衛星軌道投入失敗 

*2000h12.2
宇宙科学研究所M5ロケット打ち上げ失敗。科学衛星軌道投入失敗  

*2001h13.8 
H2A1号機ロケット打上げ成功!ホッ。(直経4m、高さ53mは17階立てビルの高さ、重量285トンのうち90%は液体燃料、打上げ費用85億円) 

*2002h14.2 
H2A2号機1個衛星になる。2個目は切り離し失敗  

*2002h14.9.10 
H2A3号機打上成功!2衛星軌道に乗る  

*2002h14.12.14 
H2A4号機打上成功!4個の衛星極軌道に乗る。 

*2003h15.3.28 
H2A5号機打上成功!2個の衛星軌道に乗る。  

*2003h15.11.29 
H2A6号機補助ロケット切り離し失敗 

*2005h17.2.26 
H2Aロケット7号機成功 運輸多目的衛星新1号機「ひまわり6号(MTSAT-1R)」  
*2005h17.7.10 
M-Vロケット6号機 X線天文衛星「すざく(ASTRO EII)」   

*2006h18.1.24 
H2Aロケット8号機成功陸域観測技術衛星「だいち(ALOS)」  

*2006h18.2.18
H-IIAロケット9号機成功運輸多目的衛星2号機「ひまわり7号(MTSAT-2)  

*2006.h18.2.22 
M-Vロケット8号機成功赤外線天文衛星「あかり(ASTRO-F)」   

*2006h18.9.11 
H2Aロケット10号機成功情報収集衛星光学2号機  *2006.h18.9.23 M-Vロケット7号機成功 太陽観測衛星「ひので(SOLAR-B)」  

*2006h18.12.18 
H2Aロケット11号機きく8号機打上成功(技術試験衛星VIII型「きく8号(ETS-VIII))。 

*2007h19.2.24 
H2Aロケット12号機大地打上成功(情報収集衛星レーダ2号機 光学3号機実証衛星)  

*2007h19.9.14 
H2A13号機かぐや打上成功

*2008h20.2.23 
H2A14号機きずな打上成功 

*2009h21.1.23 
H2A15号機いぶき打上成功 

*2009h21.9.11
HVロケット打上成功

*2009h21.11 H2A



























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みどりむしバイオザイム



ロケット種子島  

 ロケット打上げ映像すべて→  安納芋格安→


◆日本の歴史を大きく変える節目に種子島がある。
  鉄砲伝来は刀の時代から鉄砲の時代、世界貿易に道を拓いた。
   そして今、ロケットは宇宙時代の幕を拓く。まさに「事実は小説よりも奇なり」。
どうして種子島にロケット発射場があるの?


*どうして種子島にロケット発射場があるの?
答えは偶然にも、日本の領土の中で種子島が昭和41年当時赤道に最も近かったからです。
地球の自転の力を生かせる赤道がベスト
・ロケット打上げには秒速7.9キロが必要 障害物なく気候安定 の条件を備えていること。ロケットを打ち上げる射
場は、世界十一カ国に計二十二カ所あります。

日本では、宇宙開発事業団(NASDA)所有の種子島宇宙センターと、文部科学省宇宙科学研究所(ISAS)所有
の鹿児島宇宙空間観測所(鹿児島県内之浦町)の二カ所です。天体観測を行う科学衛星や放送衛星を載せたロ
ケットは、九州の南端から発射されることになります。

射場を選ぶにはいくつかの条件がありますが、大事なのは、できるだけ赤道に近い、という要素です。理由はこ
うです。

*ロケットが運ぶ人工衛星をうまく軌道に乗せるためには、少なくとも秒速七・九キロメートルの猛烈なスピードが必
要。そこで、ロケットを打ち上げる時に、西から東へ自転している地球の速度を利用して、少しでも勢いをつけるの
です。

自転の速度は、赤道に近い場所ほど速くなるので、赤道に近い射場から自転方向と同じ東向きに飛ばした方が、
エネルギーを節約できます。

射場を持つ国のほとんどが、この原理を利用して東方に打ち上げています。NASDAは「他の場所でも打ち上げは
可能だが、よりコストが安く高機能で重い衛星を運べる」と種子島のメリットを説明しています。

*この他の射場の条件としては、万一事故が起きても被害が出ないよう人口が少なく、障害物のない広く平らな
土地であること。

*航路など交通の便が少なく、気候が安定している―などです。通信、電気、水など資源があるなどの理由もあり
ます。

*また漁業が盛んな港が近い場所は、発射時の音や震動で魚が逃げてしまうので対象にはなりません。
 
内之浦町の宇宙空間観測所は、
 種子島よりも早い1960年ごろから射場選びが行われました。
 日本は海に囲まれているので、東方に飛ばして影響のない場所は、太平洋沿岸に限られます。当時は襟裳岬
(北海道)や三陸海岸、紀伊半島、四国南岸などが候補に挙げられ、種子島もありましたが、交通の便が悪く輸送
が困難だったため選ばれませんでした。

*日本で最も赤道に近いのは沖縄ですが、当時は米国からまだ返還されていませんでした。
宇宙科学研究所によると、当時の内之浦は、平地がなく岩石が切り立った悪条件で、見た目はとても射場にでき
るものではなかったそうです。しかし、人家が少なく国有地が多いなどの利点があったため、山を削って新たに台
地をつくり、今の鹿児島宇宙空間観測所が建設されました。

*種子島は「宇宙開発事業団」の発射場です
鹿児島県内之浦町(鹿児島宇宙空間観測所、文部省宇宙化学研究所の施設、日本最初の人工衛星「おおす
み」)発射地。規模からして種子島が1番。


◆世界で1.2位を競う美しい種子島宇宙センター
 種子島宇宙センターカーモリの丘からの動画


竹崎海岸を望むところに2つの発射台をもつ宇宙開発事業団のロケット発射場がある。
センター内には、自由に見学できる施設・宇宙科学技術館がある。館内にはロケットや人工衛星の模型などを展示し、屋外には、N-I型ロケットの実物大模型も立つ。また、スペースシャトルと宇宙ステーションのドッキングゲームや月体重計などのシュミレーションゲームもあり、楽しみながら宇宙と最新技術を知ることができる。

*種子島の南東端、種子島宇宙センターがある海岸一帯。南端の大竹崎から北の吉信崎まで、南北にゆるいカーブを描いて続く情景は、南種子町を代表する景勝地の一つとして「南種子名勝八景」に指定されている。
透明度が驚くほどに高い海と、波が打ち寄せる美しい白浜が魅力的で、それが最先端の科学技術の象徴といえる宇宙センターの建物と不思議なほどにマッチ。
種子島ならではの風景をつくり出している。サーフィンのポイントとしても人気が高い。



(画像HP)画像は、種子島出身者のロケット組立て 三菱重工鰍ナ。
*ロケットの打上の様子はテレビニュースなどで流れますが、実際に行って見たものとはほど遠い。
まず轟音の凄さとその時間の長さに驚くことです。
火山の爆発、花火の10尺玉を100個一緒に爆発させた場合よりその振動と音の大きさは大きいのでは。
轟音は地の底から、空のかなたから沸いてくる、その振動は20km離れたわが家のふすま、障子をガタガタと振るわせる。当然人間の肌をも鳥肌が立つまで振るわせる。
 そんな中を一筋の光と白い雲が天を目指して昇っていく、その後から轟音が轟く。
まるで天龍が昇るかのようだ。ぜひ一度だけでも実際にロケット打上をご覧下さい
国際宇宙ステーション日本塔「希望」

 (画像HP)
*日本担当実験棟は「希望」と言う名称です。宇宙ステーションはソーラーパネルの端から端までの大きさは、サッカー場とほぼ同じ面積です。
2009年にケネディ基地から発射されました。「希望」組立には種子島出身者が2人携わっています(大木田敏光、後迫五男) 。
*心は既に発射台
国際宇宙ステーション計画の実験棟「きぼう」は、日本が初めて造る有人の宇宙飛行装置だ。三菱重工名航(愛知県飛島村)の製造現場には一層の緊張感が漂う。大木田敏光さん(42)は今、この緊張を心から楽しんでいる。
 鹿児島県・種子島出身で、中学時代から自転車でロケット発射場に日参した根っからのファン。巨大な空気清浄室で「きぼう」を艤装(ぎそう)する今の仕事は、夢の職場だ。
 無重力空間で使うため船内に上下はなく、円筒形の実験棟を少しずつ回転しながらの作業。無数の配管や電線を、狭い船内に走らせる。工具の置き忘れ防止のため毎朝夕、個数を点検している。
 宇宙服が破れないよう部品はすべてとがった角なしで設計されている。意は尽くしたはずだが、視察に来た米国人宇宙飛行士から、手直しの注文が無数にあった。大木田さんにはこれも励みだ。「辞書片手に、外国の技術者と同じ作業をするのは楽しい」。「ケネディ(宇宙センター)で会いましょう」と言い残すと、仕事場に戻った。心は既に、スペースシャトルの発射台にある。 (写真・小林 理幸 文・山田 大輔)

■種子島の野木レーダー、増田衛星追跡センターの設置はこうして決定した。
1964 S39年 ロケット打上げ基地の候補地として、日本最南端の奄美大島はハブが生育しているためアウト。
西之表市安納飛行場跡地、中種子町増田の旧九州海軍飛行場跡地は民有地多くアウトになった。が それではかわいそうと考えたのか 1966 S41年西之表市野木にレーダー基地と中種子町増田に衛星追跡センターの設置が決定した。
南種子町茎永竹崎大崎集落に種子島宇宙センター設置が決定した。
初打ち上げは 1968 S43年9.17午後4時10分 2.7mの小型SB-2A9号機であった。










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