種子島の名所史跡
参考資料・JTB旅行

鉄砲館 西之表市)
 ↓画像動画


南蛮船をイメージした外観の資料館。ポルトガル人がもたらした火縄銃、国産第1号の火縄銃をはじめとした古式銃約100丁、島の刀鍛冶、火薬製法などの歴史民族資料約8000点が収蔵・展示されている。入口では歴史や自然に関するビデオも上映。

本源寺ほんげんじ西之表市↓画像動画
">
種子島家の菩提寺で、文明元年(1469)、第11代島主・種子島時氏によって創建された。墓地には、鉄砲伝来のときの島主・時堯をはじめとした代々の島主の墓に加え、キリシタン弾圧のためにこの地に流されたカタリーナ夫人こと永俊尼や、幕末に種子島の経済開発を指揮した種子島久時(女島主・松寿院)の墓などもある。
慈遠寺と本願寺→動画


あこうの木(西之表市) ↓画像動画

">
赤尾木城跡の榕城小学校校庭にある。高さ15mほどで、樹齢は約460年。このほか、市北東部の湊川下流域のメヒルギ自生群や、南西部の住吉港のガジュマル防潮林などの植物にも注目。


古市住宅(中種子町)
">
種子島を代表する民家建築。島主の種子島氏に仕え、庄屋などを務めた古市源助が弘化3年(1846)に建てたもので、建造当時の原形をほぼとどめていることから、国の重要文化財に指定されている。また、歴史の里坂井公園を中心に、歴史散策コースとなっている。


ふれあいの里
  (中種子町)
太陽の里に隣接した施設。ここでぜひ訪ねてみたいのが、敷地内に立つ黒糖づくり伝承館。種子島の黒糖作りの歴史資料などを展示し、11〜3月ごろで材料が揃うときは、黒糖作りの体験もできる。ほかに、木造瓦屋根の宿泊棟などもある。)※秋佐野のナギナタ踊り→動画


よいらーいき祭り(中種子町)
中種子町の夏を彩る祭り。毎年8月の第1土曜日に開催。町内各地から集まったグループが、神輿や山車を先頭に、「よいらーいき音頭」に合わせた道中踊りを披露しながら中心街を練り歩く。この道中踊りは、10人以上のチームなら、だれでも参加可能だ。夜には花火大会も開催される。なお「よいらーいき」とは、種子島言葉で「みんな一緒寄り合って頑張ろう」という意味。
※よいらーいき音頭
   ">→動画





















なるほど種子島  

種子島家、日の丸、最古の漢字、カシミヤ号、女淵男淵の滝、馬立の岩屋、千座の岩屋、雄龍雌龍の岩のページです。


★種子島人は天皇家・平家の末裔か?
*「系図」
神武天皇・・・天智天皇・・・光仁天皇→桓武天皇→葛原親王→高見王→平 高望→平 国香→平 定盛→平 維衡→平 正度→平 正衡→平 正盛→平 忠盛→平 清盛→平 基盛→平 行盛→平 信基(初代種子島信基)・・現在29代種子島時邦



国旗「日の丸」のルーツは種子島
江戸時代の種子島城主種子島家の船章(船の舳先に付ける旗)は「日の丸」でした。
それを見た島津済興の妹、松寿院がめちゃくちゃに気に入り島津藩の船章とした(著作権の乱用だあ〜)。*松寿院は、篤姫のおばです。
*1854年(嘉永7年)島津斉彬が日本初の洋式軍艦 「昇平丸」を幕府に献上し「日の丸の船章と吹貫」をつけた。
*明治政府が正式に日本の国旗と制定したのは1870年(明治3年1/27)である。
 松寿院の三大事業の動画

種子島・日本最古の漢字「山」
  広田遺跡動画


*南種子町の広田遺跡、から発見された貝符に「山」と言う日本最古の漢字が彫られている。
中国から伝来したものか、種子島で彫られたものかは不明である。弥生時代前期のものだという。貝玉で造った首飾り、貝に模様を彫り込んだ貝符が多数出土している。

カシミヤ号紀徳碑(西之表市伊関) カシミヤ号の動画すべて→→ココ
 太平洋にかける橋劇カシミア号乗組員救助の動画


 *明治18年9月21日、米国商船カシミヤ号は種子島東方で遭難、乗員のうち7名はボートで脱出し15日安城に漂
着、5名は筏で脱出し20日伊関に漂着。

それぞれ両村民の手厚い救助活動で無事帰国した。米国はお礼に金メダル2個と当時のお金6600円余り(現在
の価値で約3.22億円)を安城村、伊関村に各3307円76銭4厘をに贈与した(当時の教員給与4円50銭で試算)。

*このお金は学校建設など教育施設の充実、授業料免除など教育発展に大きく寄与したのである。その記念碑が
安城小と伊関小にある。

*著書「太平洋にかける橋」オススメですぞ。

女淵男淵の滝(めぶちおぶちのたき)中種子町増田秋佐野


*平坦な種子島で、滝はめずらしいものです。
しかも2段になっている滝です。上段を女淵(めぶち),下段を男淵(おぶち)といいます。
名前の由来は,身分違いの恋愛をとがめられた男女がここに投げ込まれたという男女の恋愛悲話によるものです。

千座の岩屋(ちくらのいわや)中種子町浜田


*太平洋の波が造った海食洞窟。
1000人もの人が座れる広さがあるという意味でこの名が付いる。実際には100人少々といったところ。
*干潮時にはその全容が姿を現し、いくつにも枝分かれした洞窟の中に入ることができる。
海に向かって大きな口を開けたような形はまさに自然の驚異。
*南種子町の浜田海水浴場にあり、一帯は波風で侵食された奇岩が多い
犬城海岸 馬立の岩屋(いんじょうかいがん またてのいわや)中種子町増田犬城


*種子島空港の東2km余りの所にある犬城海岸は、自然の奇岩・巨岩や洞窟が続く種子島屈指の景勝地。
この北端にある洞窟で、ここには、第10代島主・種子島幡時にまつわる伝説が残されている。
*幡時は修験道の犬神使いで、若いときからこの岩屋や周辺の海岸一帯で修行を続けていた。
そしてあるとき、岩屋に入ったまま、忽然と姿を消し、洞窟の前には幡時の愛馬だけが、主人の帰りを待って立っていたといわれる。
「馬立の岩屋」またてのいわやの名は、この言い伝えに由来している。
雄龍雌龍の岩(おたつめたつの岩)中種子町星原


西之表市から国道58号を南に中種子町に入るとすぐ右手の海沿いに見える天然の奇岩。隣り合って並ぶ2つの巨岩で、陸側から見て左手の大きな岩が雄龍、右手のやや小さな岩が雌龍だ。古くから、種子島と、そこに住む人間を造った神様の岩だと言い伝えられているもので、2つの岩はしめ縄で結ばれている。
今も、土地の人々に深くうやまわれている神秘と信仰の岩だ。

inserted by FC2 system