種子島輝ける人   

榮義之・最上宏・古市静子・種子島時休さんのページです。

★牧師・榮義之(生駒聖書学院長)  

  ※HP→生駒聖書学院 ※榮義之作詞動画歌kayo

 

榮(さかえ)義之・・1941S16.9月生 種子島西之表市中割出身
(生駒聖書学院卒業・日本ペンテコステ教団代表・エリムキリスト教会主任牧師・エリム宣教会代表・朝日放送ABCラジオ牧師) 
ケニアに「MFA孤児院建設」し救済活動中。
※著書・サバンナの愛の光 永遠に(榮義之牧師物語)・天の虫けら・「希望の声」多数
    

■生駒聖書学院通信生受付中
・入学時期・4月、9月入学式。随時入学可 修業年限2年。
・学費・入学金5万円。年間25万円前納(それ以外にテキスト代必要な教科あり)
(振込先=ゆうちょ銀行15230671)
・授業方法・上記科目をDVD(CDの場合も)や、教科によりテキストだけを用いて学び、各支持に従い試験、論文、レポート,感想等を提出しながら学びます。
講師・榮義之(院長、エリムキリスト教会牧師)=人間学、創世記・アブラハムの生涯、説教学
前田基子((副院長、エリムキリスト教会牧師)=旧新約聖書研究・暗唱聖句
榮義嗣(科長、富雄キリスト教会牧師)=組織神学、教会史
有賀喜一(全日本リバイバルミッション代表、要職多)=ローマ書
飯田克弥(J-House主任牧師)伝道・宣教論
大川従道(大和カルバリーチャペル主任牧師)=実践神学(礼拝・祈祷会実践、説教学)
金沢康裕(弟子教会主任牧師)=牧会論(二つの翼)
小平元昭(京都福音教会主任牧師)=大預言
菅原亘(神戸キリスト栄光教会主任牧師)=聖霊論
平岡修司(橋本バプテスト教会主任牧師)=モーセ5書
松田義男(大阪聖書エクレシア牧師)=ギリシャ語朗読、ヨハネ福音書

※まんが「歌えない踊れない無口な牧師物語」&ナレーションまんが「歌えない踊れな



い無口な牧師物語&まんが「今日もまた天国の一日」無料→   
 榮義之「歌えない踊れない無口の牧師物語」@動画


 榮義之「歌えない踊れない無口の牧師物語」A動画


 ※榮義之(種子島で)

※ HP「生駒聖書学院」→動画
本学院は教団教派を越えて、神の国のために働く召命をうけたすべての献身者に門戸を開いています。
学院には男子寮、女子寮、家族寮、研究室、チャペル、食堂、祈祷院等すべてに聖霊の臨在があふれ感謝と賛美の声が、キャンパスに絶えることなく満ちています。
※牧師・伝道師養成コース※聴講制度・将来、牧師・伝道師を目指す者だけでなく聖書を学びたいと希望する者に大きく門戸を開いたものです。
※生駒聖書学院卒業生の動画
・東大阪市で350台を率いる元初代暴走族団長、野田詠氏(えいじ)牧師動画
・元山口組系(下っ端やくざ)金沢康裕牧師動画
・18年の刑務所暮らし(元やくざ若頭)篠竹清の証し動画
 
※動画→礼拝ストリーミング動画 
※テレホンメッセージ希望の声Tel 0743-73-3740



★最上宏 
 最上医院医師・西之表第6代町長、西之表第2代市長
 種子島に落花生を根付かせた最上宏さん動画


西之表小牧最上鹿之助氏の長男。明治16年-昭和39年没
著書(日本食糧史考上巻.下巻は未刊・鹿児島地名考)
長崎医学専門学校卒業後帰島し最上医院医師開業・医院の一室を教会として提供する。
北種子村会議員・熊毛郡会議員・鹿児島県会議員を歴任・西之表町第6代町長、西之表市第2代市長(s34/5〜s35/2)など政治活動し西之表市発展の基礎をつくった功績は大きい。
 ※種子島に落花生を根付かせる。
種子島の農家の困窮をみ現金収入の道を模索し、大正4年鹿児島県鹿屋より落花生の種子35石(金がないので倍の70石返済するという約束で)を穀物商中村直次郎氏と協力して持ち帰り、西之表市現和に400世帯で栽培して大成功。
以後種子島、屋久島の農家の基幹作物となる。
西之表市市役所内に胸像、西之表市現和のJA現和支所に落花生栽培初地記念碑あり。


★古市静子 

 日本の幼児教育先駆者 西之表市出身(1847江戸弘化4−1933)86歳
 古市静子さん動画


1886明治19年に東京で駒込幼稚園(現在の「うさぎ幼稚園」の前身)を設立しました。
これは我が国における幼稚園教育の草分けでした。1966s41年のうさぎ幼稚園80周年記念式典を期に、古市静子の偉功を讃えようとする気運が高まり、翌1967s42年には西之表市の若狭公園内に、古市静子の”黎明”偉功碑が建立されました。
この偉功碑建立の陰には、古市静子の女子幼児教育の偉功を顕彰しようとする地域の人々の努力がありました。
※教育活動に生きた女性たち→古市静子
※古市和義氏の→古市静子


★種子島時休
日本初のジェットエンジン「ネ-20」開発者 日本で最初のジェット機「橘花(きっか)」初飛行!  1902M35.7.20生まれ 1987S62.8.7没(橘花初飛行の8月7日が命日となる)
種子島家の末裔。海軍大佐 工学博士 防衛大学教授 東海大学教授
鉄人のようなまじめさの一方人間味たっぷりの温かい人情の持ち主で「タネさん」と慕われ時休をもじった「万事休す」とあだ名も受け入れていたという。
 
 
 日本初のジェットエンジンネ20動画


1943昭和18年ごろから、航空機用ピストンエンジンの開発は性能的な限界が見えてきました。当時の日本は、燃料となるガソリンが不足してきており、質の悪い燃料でも高性能が可能なジェットエンジンの開発が急務でした。
同盟国のドイツからわずかな資料が届き、試作機の完成が待たれました。
激しいジェットエンジンは空技廠の種子島時休大佐が研究開発し、機体は中島飛行機の松村健一技師を中心に最優先で開発しました。
終戦間際の1945昭和20年8月7日、日本で唯一完成したジェット機「橘花」は木更津飛行場において17分間のテスト飛行に成功しました。
これが、我国最初のジェット機誕生の瞬間でした。戦時中ジェット機が完成した国はドイツイギリス日本の3カ国だけで、日本の航空機技術の高さを証明するものとなりました
そして間もなく終戦を迎え、生産された橘花は全て破壊されました。
尚、T-1ジェット機の初飛行を行ったパイロットは、偶然にも橘花をテスト飛行した高岡迪氏でした。
 また、埼玉スバルの創立者である吉澤功は、1945年当時、海軍大尉として第一海軍技術廠噴進部に籍を置き、神奈川県秦野にある煙草畑の中の専売局倉庫で種子島時休大佐の指揮の下、ジェット燃料として松根油を使用するための橘花用ジェットエンジン「ネ-20」の研究実験に携わっておりました。


種子島鉄砲隊

 動画→→


陶芸家・無比(池田省吾)




細工・池亀次善さん




髪漉き・宮城成光さん




絵描き・向井睦雄さん




絵描き・長野正昭さん




洋画家・日高蔀 ひだかしとみ






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