種子島の文筆家  
*西村天囚・平山武章・植村雄太朗・中島信夫・日高恒太朗・大石寅之助・大牟礼南塘・河口雪蓬さんのページです。

西村天囚(にしむらてんしゅう)-「天声人語」の名付け親 
種子島が生んだ明治の新聞人に西村天囚(本名・時彦)、時輔兄弟がいる (文・古市和義)
種子島が生んだ明治の新聞人に西村天囚(本名・時彦)、時輔兄弟がいる。
西村天囚(1865京王元年7.23-1924大正13.7.29)は、種子島西之表中目で西村時樹の子として生まれる。3歳の時、父を亡くす。幼時、郷儒の前田豊山に学ぶ。

その祖先に1543(天文12)年に鉄砲を日本へ伝えたポルトガル船漂着の折、明人と上で筆談した西村織部烝時實がいる。

著書・明治20年に社会諷刺小説「屑星の籠」・単騎遠征録・日本宋学史・紀行八種(内訳は奥羽山脈」「雲の行方」「風流巡礼」「金剛山」「奈良巡」「乾仏記」「春袗軽=録」「河内紀行」

天囚は漢文に秀で大阪朝日新聞の論説を担当、日清戦争の従軍記者としても活躍。
時輔は鹿児島新聞の主筆から大阪朝日に転じ、兄弟で日清戦争の従軍記者として活躍した。
天囚は15歳で上京して詩文の力を養い、宋儒に興味を持っていた。東京帝国大学(現・東京大学)文学部中退後に処女作「屑屋の籠」を出版し、これが天囚が世に出る緒になった。
22歳のとき大阪朝日へ迎えられ、漢学を基礎に健筆を振るい、常識に富む論客として注目された。朝日のコラム「天声人語」の名づけ親でもある。

連載記事「単騎遠征録」
(福島正則大将)
1892(明治25)年2月、福島安正(当時、陸軍中佐、のち大将)が単身馬でベルリンからシベリア横断する冒険旅行を成功させた。この冒険旅行は、郡司大佐の北千島探検とともに「明治の三大冒険」として有名だが、天囚は他社に先駆けてウラジオストックに向かい、中佐の快挙を独占取材した。
当時はアジア大陸の事情に国民の関心は高く、競って天囚の記事が読まれた。その第一報は「…待つもの少時、蹄(ひづめ)の音近く聞こえぬ。銃を荷へる白衣一騎先導し、一騎は殿(しんがり)して真中に玄服の人あり。果して福島中佐の加薩克(コサック)兵に送られて至れるなり…」と、得意の麗筆で送稿。その後の120回にわたる連載記事「単騎遠征録」も荘厳かっ達な名筆で読む者を陶酔させた。

※西村天囚-社説で発行停止受ける
日本は日清戦争に勝利して清(中国)から遼東半島を割譲したが、その後、ロシアなどの「三国干渉」でやむなく同半島を返還しなければならなかった。
遼東半島還付の詔勅に対して大阪朝日は1895(明治28)年5月14日の1面に「泣いて大詔を読む」と題して134字の記事をトップで報じた。
天囚が書いたその記事は、急迫した雰囲気と率直な緊張で読む者の心をうつ名文。さらに天囚は翌日の社説「国民の戒は恩に狃(な)るるに在り」を書き、これが“治安妨害”にひっかかって当局から11日間の発行停止処分を受ける。「朝日新聞社史」によると、その理由は示されてないが、文中の「挙国居喪」や「素服して外征より還るの師を迎え」うんぬんといった文字が、当局の忌諱(きい)にふれたらしい。
※西村天囚-米大統領に引見
1910(明治43)年、天囚は世界一周旅行に特派され、5月7日にホワイトハウスで当時のタフト大統領に引見している。
その引見記は「…予が(一行の)職業氏名を紹介すれば、何やら言ひつつ、手を出されしより、予は、そのいと大なる手を、握力試験に遇ひたる時の、覚悟もてグット握れり…」とつづっている。
※明治天皇後崩御哀辞
1912(明治45)年7月28日、明治天皇が重体になられた。新聞社では万一の場合、事前に予定稿を用意するのが通例だが、天囚は「おそれ多いことゆえ、事前の起草はできない。万一の場合、こん身の力をこめて書く」と予定稿を断った。
天囚は同30日午前零時43分、崩御の電話で出社、急いで「哀辞」の原稿を仕上げ、東京朝日へ電話で送った。
これは難語が多い記事で、東京で電話で受信した入社間もない緒方竹虎(元自由党総裁)は大変苦労したらしい。天囚の書いた「哀辞」は、同じ朝日の内藤湖南を「一代の名文」と感嘆させたという。(編集委員・名越護)

画家大牟礼南塘 (おおぶれなんとう)

  
 (肖像画提供・大牟礼春樹)  (西郷隆盛画像-HP『西郷隆盛全集月報6』
大牟礼南塘 名は時艾(ときはる) 種子島西之表中目出身 
明治7年3月生-昭和10年5月没(62歳)(肖像画提供・大牟礼春樹)
西郷隆盛肖像画を描く。東京美術学校洋画科の第2回卒業生で黒田清輝に師事。
昭和2年西郷隆盛の五十年祭にあたり肖像を依頼され,西郷の風貌を研究し,モデルには安藤照の西郷像と同じように西郷の庶長子西郷菊次郎の嫡子隆治が選ばれた。
肖像画ができあがると,東郷平八郎元帥や西郷家親類の古老の方々の下見検分の結果,さながら生ける南洲翁を見る様であるという好評の折紙をもらった。
その後,カラーの写真版が制作され全国へ広く普及した。
(イタリア人の銅版画家キヨソネが描いた肖像画は、南州の弟西郷従道と従弟大山巌の顔を合成して描かれたものです)
*県立鹿児島二中(現在甲南高校)の美術教師として明治44年から昭和5年まで満19年在職して,油絵を教えた。その教室から安藤照(鹿児島市立美術館の西郷隆盛像,東京渋谷駅前の忠犬ハチ公像の作者)や岩松淳(八島太郎,児童絵本作家としてアメリカで活躍)等を育てた。
※大牟礼春樹氏談
祖母(南塘の妻)とは、死去するまで(私が二十歳頃まで)同居していました。南塘の人柄は祖母から「名誉や金に無頓着」と聞いています。
桜島の大噴火を描いた作品は、桜島大噴火の研究にも使われたと聞く。その桜島の絵は某菓子メーカー(会社名は失念)が無断でパッケージに使用したらしいのですが「よかとよー」と言ってそうです。

平山武章(ひらやまたけあや)

★平山武章(ひらやまたけあや)
郷土史研究家、作詞家 西之表市出身。明治42年7月10日生-平成6年6月10日没
明治42年、大連第一中学校より満州緑園学園修了。東京「詩の家」、および「歌謡詩人」に参加。昭和12年「成吉思汗は斯く言へり」出版。
昭和17年より満州国治安部調査股に勤務、引揚げ。西之表市農業高等学校、榕城中学校の教員を経て市教育委員会勤務。市史編集にたずさわり終わって退職。
昭和46年「鉄砲伝来記」出版。市選挙管理委員。同文化財保同文化協会長、同社全教育委議全委員を勤める。
詩人として作詞家、著作者として早くも昭和7年頃、滋舳呉県暮菓の琵琶湖の歌に応募して第一席となる。
その後、氏の作詞にかかる「銃後の夢」のレコードがビクターから、「砂丘を越えて」のレコードがキングから出た。
そのほかに、「西之表小唄」「熊毛小唄」
・校歌→上西小、下西小、吉田小、立山小、鴻之峯小、星原小、榕城中、住吉中
・著書→(「鉄砲伝来記」、「鉄砲伝来考」・写真集「明治大正昭和の西之表」
植村雄太朗


*植村雄太朗・種子島中種子町畠田出身・昭和14年生まれ
・立正大学修士終了・鹿児島県立高校教員
・昭和41年〜44年・中種子高校勤務 平成12年退職
連絡先 〒785-0030 高知県須崎市多ノ郷916-6
 種子島のむかし話動画


※種子島むかし話動画→種子島のむかし話(語り植村雄太朗)

・種子島方言辞典 全375ページ 自費出版・CD4枚(植村肉声で方言解説)付き
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内容・種子島言葉の解説、心境、真価、文化。種子島言葉はどんな気分場面から生まれたか。なぜ声は大きく荒っぽいか。前置きは無くズバリ始まりスポッと終わるか。方言は下品な言葉か。敬語は無条件に素晴らしいか・・他。
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目次1.婆さまの度胸について 2.狸と人の間には 3.蛸の持ち味ふたつ 4.子投げ潮・春の海 5.テレビに学ぶ 6.声はどこから 7.声のさまざま 8.五つの名をもつ虫・語の創造 9.お接待に恵まれる・遍路みちのことば学 10学間の古代性・柏と月桃か証す 11春と聞かねば・聞けば急かるる胸の思いを 12何のための喪失 13人の誇りとは続・狸と入の間には 14知らぬが仏・さびしさから 15冷汗三斗 16.心が決める『伊勢物語』(第九段「東下り」) 17男と女の峠&『伊勢物語』(第二十三段・「筒井つの」) 18平和への設問・チェコ・北京・長崎 19思いこみあれこれ 20黒いけど良い人 大きいくせに・男でしょ 本文中の「★カタカナ語」は方言形です。また、読みがなには著者の創意・独善もあります。

川口雪蓬 (かわぐちせっぽう)

 
  西郷隆盛墓地         川口雪蓬書(鉄砲館)
種子島西之表市納曽出身。1818文政元年-1890明治23年72歳没 
陽明学者で書、詩作に秀でる。(本人の写真見つかりません)
*鹿児島市浄光明寺にある西郷の墓標「西郷隆盛之墓」は雪蓬の書である。彼もまた西郷家の墓地に葬られた。
島津久光公の写字生であったが、公の書物を質に入れ焼酎を飲んだことがばれて沖永良部島に流されていた。1862文久二年西郷隆盛も同じ島に流されて和泊の牢に入れられた。これを聞いて雪蓬は南洲を訪れ大いに意気投合し、それからは頻繁に訪ねては時世を論じ、学問を語り、書や詩作を語り合うようになった。
ある時など李白の詩を示して「西郷さん、詩はこう作らないといけません、あなたのはまだ四(詩)になりません。三にもどうですかなあ、ハッハツハ」と笑ったという。なかなかの酒豪で、酔えばそのまま、昼間でも庭先に寝込んでしまう。それで南洲が(睡眠先生)と雅号を贈ったところ、同じスイミンなら(酔眠先生)がいいですよと改めた。
それから二人は次の約束をかわしたという。「われわれ二人はどちらでも先に赦された者が、おくれた者を扶養すること」と。
雪蓬は西郷の赦免後、問もなく赦され、鹿児島に帰ったが、西郷家に移り住み、私学校の教師となり西郷戦死の後は、その家族を引き受け、艱難辛苦のうちに扶養した。
明治23年病没、鹿児島市浄光明寺にある西郷家の墓地に葬られた。
(画像-HP まほろば国立歴史資料館)

大石虎之助 


西之表市在住 昭和6年生
「種子島の歴史考」編集・・・種子島の歴史(縄文時代〜現代まで)写真、図解、詳細で解りやすく解説した192ページの優れもの
・西之表市役所定年退職後編集、自費出版

柳田理科雄

(画像 HP)
種子島南種子町出身 昭和37年生 東京大学理科1類中退 現在学習塾講師
学習塾経営するも失敗、ウルトラマンは活躍すればするほど人間社会に被害を与えるなど漫画、アニメのヒーローを科学的に解説した「空想科学読本」が大好評を得る。
現在第3巻の漫画本も発売になった。父は南種子町の町長歴任。
柳田理科雄(HP-空想科学研究所主任研究員)
中島信夫

 
中島信夫S3年生・千葉県山武市「戦争体験語り部の会」会員。
2010H22内閣府より会の活動表彰される。
歴史書「ふる里ますだ昔と今」A4判 264ページ編集・
千葉県八街市在住・昭和3年生
・増田地区のことはもちろん種子島の貴重な歴史を豊富な写真図解で詳細に解説。


★詩人勿忘草(わすれぐさ 西之表市出身)

    
詩集「想いが 思い出に変わる時」(文芸社出版 ネット販売してます)
※電子書籍・詩集「想いはいつの世でも輝きて」無料
※電子書籍・絵本「小さなおそらのぼうけん」300円
※電子書籍・エッセー「いじめと戦うバナナちゃん」400円
 ・パソコン、iPhon、iPad、AndroidでダウンロードOK。無料、有料ダウンロード
  勿忘草さんのブログ→→

作家徳永健生(中種子町出身)

1.たまゆらの海・305P 送料込み1600円 (鉄砲伝来の若狭物語)
2.ロザリオの海・305P 送料込み1600円
 (種子島にも寄港したザビエルを案内した薩摩のヤジロー物語)
3.望郷の海・305P 送料込み1600円
 (ロシア語を最初に翻訳した薩摩の人・江戸、享保時代「新スラブ日本語事典」の完成物語)
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