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みどりむしバイオザイム


種子島の歌人  
◆日高安典・日高保・嶋元啓三郎・種子島時休・上野シゲ・宮城喜代子・春田行夫・中島豊

有為野夢助(ういのゆめすけ・本名石堂氏明)
    
・石堂氏明 明治41.1.9生  平成2年1月没83歳。
・熊毛文学会員種子島南種子町茎長生出身 中種子町野間大平に住む。
熊毛郡内小学校教諭歴任。背中にはいつもカンザー(背負い)をしょつていたのでカンザー先生の異名で知られる。
昭和28年野間小学校を最後に退職し、雑貨屋経営の傍ら、短歌とも狂歌とも川柳ともとれる異風まれなる作品を投稿する。
その作品を1冊に編集したのが歌集「からいもの花」絶版。種子島の言葉で大らかに、素直に、快活に、島の人情ふんだん盛り込んだ1600余の歌の数々。

露天風呂に空を見上げて孫言ふ 「星と言ふのは雨の穴か?」と

 年とれば孫と遊びて暮らそうよ 孫は杉苗先が楽しみ

あの娘貰うな小便ズイカ 小便ズイカは色ばかり 

あらゆる人に好かれた果てに 私ゃあなたに来たんだよ

 ダチあかぬ仕事 ダチあく煙草のみ こういふ人とは夢にも知らず(ダチ=能率)

生意気とたたき出さずに 一緒に居れ バキーと生味噌は必ずよくなる。

 同窓会は楽しきものよ座敷をばせざり廻って友とかたらひ
   (せざる、せざり正座のまま移動するさま)
「出て行け!」と例の如くに男おらべば 女もおらぶ「元のとおりにしてくれー」
   (・・は犬も食わぬ?
男たちはさびしき時には瓶を見る 女はさびしき時は子をみる
   (瓶を見る→;焼酎瓶を見る)
ヒダルカヨーヒダルカヨーと 豚が鳴くワレッソー 一日中寝ておって

五月来て菜種コロガシ今年も吹き 百姓は畠と半分分けに頭が痛い

竜門の滝を昇れば鯉も龍 挑めよ少年志し立て (滝を昇った鯉が龍になる)

大空の高く広きを嬉しみて心躍るかひるがえる鯉
   (こいのぼりが縁起がよいのは腹の中がカラ、つまり腹黒く無いということから)
今日の雨は骨休め雨 農林雨 焼酎飲めと百姓に降る雨

真っ裸逃ぐる女を 真っ裸男追うなり シラムシの恋 
    (シロアリもこんなふうに詠われて幸せだ)
あれも食わんこれも食わんと あなたが言ふ 私泣かせの夏が来ました

忙しく団扇使ひて妻が言ふ「今年のような夏は初めて」

 矢車の花のうなじを抱き寄せて 花の蜜吸ふ黒き花虻(花あぶもよろこぶ歌)

少女子の黒髪に来て 蝶とまれトンボよとまれ かんざしとなれ (少女子オサナゴ)

あけっ広げ夜は寝るなり夏の夜は クヤシカバキー 誰がトローカト 

天からは日が照る地からは草が蒸す 中なる我はマグリョーオタル
  (オオーギの草取りの苦労)
カンナの花石寺浜の道に咲く 吹く海風にメラメラ燃えて

竜舌欄三メートルの穂を立てて 灯台の崖に花咲きおり

波の音聞きつつ巡る平田辺田 はまゆうの花は夜目に著し

夕めしに間に合へばよいランドセル 石投げ花摘みツワウチをする (友ありてこそ)

人生の半ば過ぎれば 老い易し つるべ落としに 日の入るが如し

払いたる田のクリのヒラ 石蕗咲きて 年も終わりの十二月に入る(石蕗ツワ)

二人とも下駄の如くに 玉の緒の 命のすげ替えして 暮らそうよ

歌人長谷草夢(はせそうむ・本名鮫島宗美(さめしまむねよし)
 
長谷草夢・郷土歴史研究家。種子島西之表市出身・大正元年生れ。昭和57年没(70歳)
・「種子島家譜全六巻」税送料込32.000円・長谷草夢(鮫島宗美)編著 1183年寿永2年〜1891年明治24年まで約700年間の種子島の史実(日誌)を難解な漢文から現代語読み下し文に編集。
・昭和2年17歳で南種子町中平小学校代用教員赴任
・昭和5年から昭和12年までに独学で小学校本科教員免許・国語科中等教員免許・漢文科中等教員免許・漢文科高等教員免許試験に合格し旧制高等学校(現在の大学)教授の資格を得た。
戦後、宮崎大学から教授として招聘されたが思うところ有り断り帰島して、種子島高等学校の国語科の教員となった。
・機関紙「熊毛文学」を昭和25年創設し昭和57年まで20年、初版から108号まで独りでガリ版きり、家族で印刷、製本し続けた。ここに、島に残るみやびの伝統を掘り起こしたのである
早春の光さびしく昼ふけて はるかなるあたり釣瓶の音す (釣瓶つるべ、井戸)

十五年ガリ切り続けて来たりけり 妻も老いたり我も老いたり (終わりなき製版の苦労)


鮫島 穣(じょう) 鮫島宗美の息子 昭和14年生まれ 西之表市出身

  著「種子島物語」 動画


A4版212ページ。すべてのページ下段に種子島の画像解説あり。
父の作品「種子島家譜復刻版」をベースに、関連する資料を参考に現代語で詳しく
わかりやすく解説したものです。
内容は、第1部 種子島家と種子島 ・第2部 種子島家と戦国時代 ・第3部 種子島家と江戸時代

 
 

神官上妻宗寛 (こうづまそうかん)
    
     上妻宗寛           長男・上妻博彦          上妻博彦夫妻
上妻宗寛・熊毛文学会員種子島西之表市住吉出身。
明治38年1月29日-昭和50年12月7日没。
歌集「島の子」短歌1000首、詩14篇 236ページ。
*神官の傍ら農業を営む。8人の子供を育てる。
長男博彦氏は(ブラジルで農業の傍ら神官)、4男斌亨は昭和35年ブラジル移住。
神道の祭式は、先祖に対する感謝を、最高の礼をもって捧げる表現である」と語っていました。
*島の言葉でうたった歌は、島人の情愛をふつふつと感じさせます。

 父の子は皆よき子なり母の子はまして良き子なり天地青し

米の孫粟の孫皆集い寄り百日の祭りどよめきにけり

 歌詠みて銭になるやと人の言いて田吾作の歌人知れずけり

石蕗(つわぶき)は暮れゆく秋に咲くなれば藷出す我の道の辺に咲く

神官、歌人上妻博彦 

ブラジル短歌誌「椰子樹」所属(ブラジルサンパウロ在住) 上妻宗寛氏の長男
上妻博彦 1933S8.11.24生 上妻宗寛氏の長男 西之表市住吉出身。
1960S35年27歳のとき長女3歳と実弟(斌亨19歳)と4人で渡伯サントス港到着。サンパウロ州カッポン・ボニートデで農業。現在サンパウロ市在住。
1969S44頃より日系移住者の祭祀に奉仕。

 
 
※著書 「うづ潮」(第一集)絶版
「うづ潮」(第二集)上妻博彦・泰子共著 平成9年から17年までの作品1443首収む。

※「うづ潮第二集」私製短歌集 送料込1000円 お申込はメールで

 船跡の渦潮見ればふる里の大和島根につづくうづ潮(渡伯船上にて)

故里をいなみいできし輪廻ともじわじわときに迫る寂しさ

 もろもろの疲れの果てを妻がいま鼾をかきてはばからず寝る

この世では難儀させるが次の世で楽をさせるぞ堪(こら)へておくれ

 この国の森を拓きてなににせしその大方は思ふだに憂し

大凡のことながら妻と三十年七千屯の食糧を産む

 子も孫も飢えることなく育ちたるこの空広し手を合わせおり(泰子夫人)

 
 
 南船 菊永國弘氏の上妻博彦・泰子共著「うづ潮」(第二集)を読む より抜粋
南船・菊永國弘・・
家族を生活を自然を人情味豊かに、暖かく鋭い目で掬い取ってゆく氏の歌は生活即歌、歌即生活の写実と真実の歌ばかりでハイカラな遊び歌など一首もない。明快率直、力みもてらいもなく自然で親しみやすい。
それにしても、師草夢の『水鶏』も父宗寛の『島の子』も氏の『うづ潮』も優れた歌集でありながら限定・非売の私家本として出版されていて広く読まれていないことがなんとしても惜しまれる。
万葉の歌を遥かな源流としてもつ短歌は今、雑多な素材と多岐多彩な感覚主体の表現や新しがりやのクニックを丸呑みに許容して流れていくが、川幅が広くなったかわりに清流の透明度も失われつつある時流にとらわれない真実の歌集を地方歌人は今こそ再評価しなければならないと切に思う。
 
 ■はらんど
※へたなれば島の言葉のみ並べおる詠つくる夜脇ーは笑う (脇ー=妻)

※みやげなどなーんにもいらんやとバーは言うワーのツラ見るそれが何より
  (ワー=あなた 帰島のときに)

※友来たる酒の肴は島言葉うっ発たんばと何度言うたろ

※いつまでも兄おとうと仲良くな爺の絶句をば胸に抱きし

※フットカナー納官の浜ジーバーとはまぐり採るは想い出宝

※七と三アバヨアバヨとオラビてひ孫と歩く東京景色 (73才で東京見物)

※アパートを鶏小屋の狭さとてゴーラシカなあバー泣き言えり

※コガンまでアリンジョーもオランろうタマガリ言へり新宿駅で

※ひ孫の手つないで拝む喜びの明治新宮「いつ死んでもよか」

※ジー知らぬ東京見物良カモンと涙の笑顔ひ孫笑えり (ジーは故人)

※皇居に尻向け笑顔バチカブリ赦せとバーは記念撮影

※泣く子は俺の子じゃない太か声タバコの匂い汗のにほい

※若き日に眼むき口曲げ怒鳴られた阿吽の像は父そのもの

※爪もこぶしも土が浸み付く父母の手は苦労のあかし農りの業(ワザ)に

※西風の日はオオギ葉ずれカサカサと八十の母一人葉落とす

※子供とて一人前の働き手盆正月の駄賃百円札

※加勢してダレクローチェ ゴターには勉学の字の遠きものなり

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